My ot life★

作業療法士として、成長の日々。自己啓発

作業療法士を目指すきっかけ

 

はじめに

今回は、私が作業療法士になりたい!と目指したきっかけをお話します。

 

弟が手術後意識不明に

私には、2つ年下の弟がいます。

その弟が小学4年生の時に、心房中隔欠損症の手術をしました。

手術は、成功しました。

しかし、その3日後脳梗塞を併発したのです。

手術をした病院が、心臓外科専門の病院であったためか、

対応が遅れ数日間意識不明で、生死をさまよう状況が続きました。

 

母親いわく、弟の反応がなくなり、

手がむくみおかしいと伝えているのに、

病院側はすぐに対応してくれなかったと言っていました。

この時の対応が悪かったと、ずっと不信感をもち、

後悔している母親をみるのは本当に辛かったです。

 

ただ、私もまだ小学生だった為、

弟が大変な状況にいるということしか理解できずにいました。

心臓外科専門の病院であっても、

脳梗塞になれば対応はしっかりしていたはずと信じるしかないのですが。

もう、今となっては、その時の対応が正しかったのかも不明です。

 

脳梗塞後、弟との対面

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弟は、脳梗塞により、右片麻痺になりました。

右の手足は全く動かずむくみもひどかった。

左の脳は、脳梗塞により血流を奪われほぼ壊滅状況。

顔面麻痺に加え、失語症になりました。

弟が脳梗塞になり、母親は弟の看病で付きっきり。

意識は回復したものの、かなり重い後遺症が残りました。

 

脳梗塞を発症して約1か月後。

私は、弟の入院する病院へお見舞いに行きました。

車いすに乗った弟は、顔もむくみ私の知っている弟は消えてました。

対面したとき、愕然とし、すごく悲しい気持ちになりました。

 

久しぶりの対面、弟も私を見るとわかったようで、

指をさして「あーあー」と言ったのです。

母は、弟が声を出しているのを喜んでいました。

しかし、私は弟がよだれをダラダラと垂らしている姿が

とてもショックでした。

現実味がない対面でした。

 

リハビリの日々

入院中はリハビリを行っていました。

理学療法士作業療法士言語聴覚士という

リハビリの専門家にフルでお世話になりました。

 

この時、私はリハビリという仕事と、専門職を知りました。

 

弟は、小学生で子供だった為、大人の脳梗塞の予後とは違っていました。

右麻痺の状態は重く、歩けるか。

食べれるか。生死をさまよう状態だったので、どうなるか。

 

理学療法作業療法・言語療法と3つのリハビリを

見学する機会もありました。

その中で一番気になっていたのは、

言語聴覚士とのリハビリでした。

弟は言語理解も低下していましたが、失語症で全くしゃべれない状況でした。

言語療法を中心に行っていたように感じます。

ただ、弟は話せないため、このリハビリが苦痛のようでした。

 

理学療法作業療法は体を動かしたり・遊びを取り入れていたため、

楽しみにしている様子でした。

 

弟が笑った!!

母親から、日々の弟の状況を聞き、

徐々に回復していることは理解していました。

ただ、今振り返ってみても、その頃のことをあまり思い出せないんです。

私は、小学6年生でした。

中学受験のために塾通いで忙しく過ごしていました。

忙しかったから思い出せないのではなく、

私も子供ながらに弟の病気がショックで受け入れがたく、

母からの状況を聞いているようで、聞き流していたのだと思います。

 

母からの報告で、これだけは忘れないのが、

「弟が笑ったよ!!」

作業療法士とのリハビリの中で、声を出して笑ったの。」

と母がうれしそうに報告してくれたのです。

 

私が、作業療法士を目指したきっかけは、まさにこのエピソードです!

 

病気の人が笑顔を取り戻す。

笑えるようになるリハビリって本当にすごい!

心底感動と尊敬の念をいだきました。

障害を抱えた弟自身が笑顔になったのもすごい。

その家族までが笑顔になれる。

そんな関わりができる仕事ってすばらしい!

と強く強く思いました。

 

おわりに

過去を思い出して、悲しく悔しい想いもあります。

障がいを抱えながらも、がんばる弟を尊敬しています。

 

私は、弟がきっかけで作業療法士になることができました。

弟には感謝しかありません。

今の私なら、あの時あれもできた、これもできた、

こうしたかった。。。

という想いが沸き上がり仕方ないです。

 

現在、同じように辛い思いをしている方のために、

今は私ができることを精一杯援助していきたいな。